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かわいそうな人列伝 - 2014.05.11 Sun

戦国大名の尼子氏は尼子晴久の頃に最盛期を迎えて中国地方の三分の二ほどを勢力下におさめた。
だが晴久の死と毛利元就の台頭により徐々に勢力を後退させ、ついには流浪の身となってしまった。
忠臣 山中鹿之助は尼子家再興に燃えに燃えた。
「尼子家再興のためならば我が身がどうなろうと構わぬ。三日月よ我に七難八苦を与えたまえ」
KA4736-015.jpg
生涯を捧げ命を賭けてもいいと思えるものを見つけられる男は世界に何人いるだろうか。

母の影響か、鹿之助を慕うものは多かった。おそらくは頼れる兄貴分だったのではないか。
主君が鹿之助の部下に感謝の書状を出そうとしたが、
気を使って一度鹿之助を通そうとしたときには「直接渡すべき」と進言したりしている。

鹿之助は主君を慰め部下を励まし不撓不屈の精神で何度となく毛利に戦いを挑んだ。
一度は毛利に捕まるも便所のわずかな隙間から逃走に成功する。
そしてついに織田軍の協力を得て上月城を毛利から奪取して主君 尼子勝久を奉じることに成功する。

だが毛利の反撃は凄まじかった。
手勢は千に満たず、対する毛利は三万を超える軍勢で城を取り囲んだ。
羽柴秀吉は上月城救援のために奔走し、陣を抜け出して信長に直談判するほどだった。
だが現実は非情だった。救援は行われなかった。見殺しにされたのである。
そうせざるをえなかった織田家の状況を説明しようと思ったが長くなるので割愛する。

援軍の見込みは断たれ食料は底をつき、ついに降伏せざるをえなくなった。
尼子勝久は切腹して果てた。
鹿之助は護送される途中に切り捨てられた。
毛利にとっては生きているだけで迷惑な人物だったのだろう。

可哀想なのはそれではない。
鹿之助は昭和20年までは教科書に載っていて知らぬ者はいないほど有名だったのだ。
命一代名は末代。鹿之助は自信と尼子家の名を残すことに成功していた。
ところが太平洋戦争での敗戦から運命は暗転する。
GHQは「軍国主義を増長させる」として鹿之助の話を掲載禁止にしたのである。
完全にとばっちりだ。こうして鹿之助は教科書から消え、
「みんな知っている」から「マニアじゃないと知らない」に変わってしまったのだった。

そんな鹿之助は現在放送中のNHK大河ドラマ軍師官兵衛でその雄姿を……あ、遅かったか……。


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